(↑:1985年の私)
(事務所応接室に置いてあるイヤープレート。私にとって節目になる年のものを揃えています。1970年は私の生まれた年で、これは両親から貰いました)
今年2015年は私にとっては大きな節目の年の一つになりました。
というのは、私達が滋賀から京都に引っ越して、そして私の父がこの京田辺市(当時は「綴喜郡田辺町」でした)で会計事務所を開業してちょうど30年になるのです。
もうそんなになるのか、と思う一方まあそれだけ年月は経ってるんだよな、とも思います。1985年(昭和60年)4月に京都に引っ越したのですが、その当時私はまだ14歳だったんですから。
2つ年下の妹はちょうど中学1年生になるタイミングでいい塩梅で心機一転、という感じだったと思うのですが、私は中学3年生という非常に微妙な時期に転校ということになり、しかも滋賀県と京都府ではあまりにも学校のカリキュラムも雰囲気も違い過ぎた(まず生徒数が全然違う→滋賀県時代の中学校は1学年2クラスで約25人/クラスだったのに、転校先は1学年6クラスで35~40人/クラスに激増)ため、何が何だかわからない内に次から次へといろいろなことが押し寄せたように感じました。
とにかく高校受験に備えないといけないのですが、正直当時は滋賀県と京都府の公立学校のカリキュラムの格差があまりにもひどくて愕然とすることばかりでした。
何でみんなこんなに必死になって塾に通うんだ?という疑問はすぐに氷解しました。今でいう所の「学級崩壊」状態。あまりの授業のレベルの低さに呆れて結局私も授業まともに聞いてなかったです。
その一方体育祭や文化祭というイベントがあるとクラス全体が一枚板になって団結するという不思議な環境。
そんな中私は気が付けば自然とクラスメイトの輪の中に溶け込んでいたような気がしました。転校するなりいきなり修学旅行があってそこで多くの仲間と親しくなれたというのも大きかったのではないでしょうか。
そんな訳で地元で目立つ看板掲げて仕事しているということもあるのかもしれませんが、今でも付き合いが続いている、あるいは当時は知らなかったけど繋がりのある(たった1年でそんなにいろいろ知り合いは増えないですよ・・・)同級生が結構いたりします。中には顧問先の社長になっている&そこで働いている同級生もいます。
今から十数年前に一度京都の中学校での同窓会を開催したことがあるのですが、たった1年しか在籍していなかった私が何故か幹事に選ばれました・・・。
当日は100人を超える同窓生が集まり大賑わいになりました(私は精算等に追われて二次会に参加できなかった・・・)が、そんな意味でも上手く溶け込めていたんだな、と改めて思いました。
あと京都に出てきていろいろと驚いたことはあるのですが、一つだけ取り上げると夏の猛暑ですね・・・。
私が京都に引っ越した年は近年並みに猛烈な暑さでした。私の記憶では確か最高38.6℃まで上がったはずです。
それまで滋賀の山の中に住んでいた頃はどれだけ暑くても32℃くらいしか気温は上昇しなかった(さすがに最近は35℃くらいまで上がることもあるのですが)だけに、これには参りました・・・。
エアコンがないと生活できないとは大変な所に来たものだ(滋賀では扇風機だけで十分だった)、と痛感したものです。
・・・という訳でここまでは実は前振りだったりするんですけど(苦笑)、今回も長くなりそうなので&あまりにも強引に話題が変わるので(苦笑)、一旦ここで切ります。
次回をお楽しみに!